私は「授業」という仕事は、激しくきびしいものなのだと思っている。教師というひとりの人間が、自分の気力、知識、創造力のすべてをふりしぼって出し、そのすべてをかけて子どもたちと対決し、子どもたちのなかにあるものを、ときにはないものまでも、無理にでも引きずり出していく厳しい作業なのだと考えている。教育という仕事、授業という仕事は、そういう激しい冷酷とも思えるような仕事である。そういう仕事によってしか、子どもの可能性は引き出されないし、拡大もされていかないものである。すべての子どもの可能性を引き出し、つぎつぎとより高い別の世界に引き上げていくような仕事などできないのである。
斎藤喜博『私の授業観』より
授業という厳しい仕事ができる教師になるために、30年以上にわたり研究・実践を続けている研究会です。
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