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自ら追求し、自ら表現する子どもを育てる 

三重サークル 活動報告MIE

第1回 例会  4月16日 20:00〜22:00 オンライン

参加者7名

1 1年実践報告 教材「いいてんき」
「学校は自分のいいところを見つけるところ」「みんなでハッピーになるところ」だと、学級開きで子どもたちに話し、具体的なことで意識付けを行った。聴き方名人を意識させたが、聴き方名人の「あいうえお」をクリアすることが目的ではなく、自然と「聴きたい!」と態度で表れるように、子どもたちの具体的な姿から褒めることを意識した。「いいてんき」の授業では、よく話す子を相手に授業を展開してしまったため、よく話す子の意見に乗っかったり、流させたりするのではなく、自分の考えを出せるように、「どんなこと考えているか教えて」と投げかけていくことが必要である。うなずく姿からも、「どんなところにうんうんと思った?」と、考えを拾い上げることができる。
 聴きたくなるしかけづくり(考えたくなる課題の設定)等と共に、子どもたちの方から自然と発生した素敵な姿を評価する(教師自身が感動する)ことが大切である。

2 4年実践報告 教材 教科書の扉の詩
“みんなで意見をつなげること”、“友だちの意見に反応すること”を、子どもたちに育ませたい力として意識付けした。“反応すること”について、教師側から「首を動かして反応しましょう」等と声掛けを行うのではなく、自然とうなずいたり、反応したりすることが大切であるため、子どもたちの方から自然と出てきた反応に対して、今後も継続して評価することが必要である。教師が子どもたちへどんな願いを持っているのかが、しっかりと指導に表れていた。
扉の詩について、3連目の「太陽」は「日の入り」を指しているのか、「日の出」を指しているのかを考えさせた。その後の「山をはなれた」に関連づけさせると、「日の出」を指していることが分かり、そのことから3連目の始めの「あ」の助詞は、“驚き”を意味しているのではないかと解釈することができた。


3 6年実践報告 教材「春」
和気あいあいとした学級の雰囲気が見られたが、子どもと教師のやり取りが多く見られたため、子ども同士で意見のやり取りができるようにすることが必要である。
「春」の詩について、子どもたちから『「せなかをあたためるし」の背中は誰の背中か?』という疑問が出てきて、「見ている人の背中」だという意見が多く出た。子どもたちにとって考えたくなる問題になるよう、教師がきちんと選択肢を作り、全員を問いに向かわせることができていたが、子どもから突発的に出てきた発言・疑問に対して、その授業の内に取り上げるのではなく、一旦保留して、まずは大問題を考える必要がある。「ヒバリは歌を歌うし」をA、「おひさまはぽかぽかせなかをあたためるし」をB、「土手のじぞうさまはさっきからこっくりこっくり」をCに分け、この3つのグループの中から事件性のあるものを見つけていくといい。また、「歌う」や「あたためる」の「し」が原因であることを、例文を出しながら押さえておくことも必要である。

第2回 例会  5月14日 20:00〜22:00 オンライン

参加者8名

1 1年実践報告 「あたしのあ あなたのあ」 「はなのみち」

@「読む」のは声だけではなく、体や表情でも表現できること A言われてからではなく、自分から進んでやってみることが大切であること B「こんな風に伝えたい」と考えながら読むことがとても大事であること の3点の教師側の意図を持って授業を展開した。教師側がのびのびと開放的に、子どもたちの前で表現していたため、子どもも楽しそうに全身を使って表現することができていた。始めの教師側の読みは、単調に読み上げ、リズムもつけずに読むことが大切である。それにより、子ども自身が教師の読みにつられることなく、自分なりの表現を考えることができる。また、最後まで一気にみんなで表現して読むのではなく、途中で止めて、そこまでで表現が上手くできている子を取り上げて、みんなでその子のマネをすることも必要である。そのことは、表現が苦手な子でも、段階を踏んで表現できるようになることにつながる。

@友だちの意見と自分の意見を比べながら聴くこと・反応することが大切であること A言葉に注目して考えると、分かることがあること の2点の意図を持って授業を展開した。「くまさんが、ふくろをみつけました」の「みつけた」に着目し、「みつけた」はどんな時に使うかをみんなで考えていった。子どもから具体的な「みつけた」の例文が出てきて、ここでの「みつけた」は「探す」の意味であることを押さえたが、“くまさんは整理整頓をしていて袋を見つけたのではないか?”という意見が子どもから出てきた。「みつけました」の後に「おや、なにかな。いっぱいはいっている。」の文が続くが、「みつけました」と「おや」は関連する言葉ではないため、ここでの「みつける」は、「探す」の意味と断定することは難しいことが分かった。 教師の解釈が浅いままでは、子どもたちにしっかり考えさせる手立てを講じることができず、教師がまとめる形に持っていってしまう。ここでは、「みつけた」の後の「」の中身と関連づける必要がある。1年生の子にとっては、「」の中をどう表現するのかを考えるような展開の方が主体的になれてよいのではないか。

2 4年実践報告  「白いぼうし」
@「原因は直前にあること」「結果は直後にあること」A「がっかり」の意味 B音読の表現の仕方 の3点の意図を持って授業を展開した。「がっかり」の意味について、子どもたちから“がっかりする”場面が具体的に出てきて、“悲しくてがっかりする”という考えを持つ子が何人か見られた。「この子は、どんなにがっかりするだろう」の文から「がっかり」の意味を考えるのは難しく、「期待外れ」という認識につながるよう、もう少し子どもの意見を引き出してみたかった。その前の「ははあ」と言う松井さんの言葉や、後の場面の「おどろいただろうな。まほうのみかんと思うかな。なにしろ、ちょうが化けたんだからー。」「ふふふっ。」と言う松井さんの言葉から、松井さん自身はそれほど落ち込んでいない様子があることが分かった。「せっかくのえものがいなくなっていたら」の「せっかくの」に着目させると、その言葉がある時とない時で松井さんの心情が伺えられ、音読の仕方も変わってくる。T教諭が授業した場面での“変だ・おかしい”を考えるならば、松井さんが「急いで車にもどった」ことや、松井さんが「運転席からあの夏みかんを取り出した」ことを取り上げるといい。みんなの前で音読をさせる場合には、読む側に“どの言葉を強調するか”、聴く側に“読む側が強調した言葉はどこか”を意識させることが大切である。T教諭の学級には、子どもたちがそれを伝え合える温かいクラスの雰囲気があった。

第3回 例会  7月9日 20:00〜22:00 オンライン

参加者7名

1 1年「おむすびころりん」(教材解釈検討)
「おおきなかぶ」の時のように、“書かれていない部分についても想像しながら読むこと”を意図して、教材解釈を行った。「かけだした」や「とびこんだ」の表現からおむすびが意志を持って行動していることは読み取れるが、おじいさんが意図的に穴に飛び込んだことを1年生に考えさせるのは難しいことが分かった。「のぞいてみたらまっくらで、みみをあてたらきこえたよ」の部分から、真っ暗な穴に耳を当てた行為におかしさを感じさせる必要があり、その行為をした理由について考えることもできる。その後の「ふたつめころんところがすと」の部分にも着目すると、2つ目のおむすびを意図的に転がしたおじいさんの気持ちから、くり返し出てくる「おむすびころりんすっとんとん」の歌の音読を工夫することができる。

2 4年「春」(詩)(授業記録検討分析) 
“詩の情景を想像し、みんなで話を深めていきながら、最初の情景のイメージを変化させていくこと”をめあてに、授業を展開した。詩の情景を各自で文章や絵に表す中で、「お日様は誰の背中を温めているのだろうか?」という課題が出てきた。子どもたちから「じぞうさま」や「ヒト」、「ひばり」の意見が出てきたが、ここでは誰の背中を温めているかは読み取れないことが分かった。「歌をうたう」や「せなかをあたためる」の「」に子どもの方から着目することはできていたが、辞書から「し」の意味を考える子の姿が見られ、話し合いをする中で、課題から逸れてしまう状況が起きてしまった。一方で具体例を出して「し」の意味を理解している子の姿も見られたため、辞書は最終手段として使い、すぐに辞書に頼らず、子どもたちと具体例を出してその言葉の意味をイメージさせることが大切である。辞書は”答え”ではなく、”ヒント”であることが確認された。


第4回 例会  8月21日 19:00〜22:00 オンライン

参加者7名

〇「ピーターの椅子」の検討
 ・
“どうして「いえ出しようや、ウイリー」と言ったのか?”という問い
  @まだペンキを塗られていない自分のいすを守るため(目的)
  Aお父さんとお母さんが妹の世話ばかりしているから(理由)
  B自分の物がどんどん取られていくような気がするから(理由)
 目的と理由が混在しているため「目的」に焦点を当てて問い返す必要がある。

 ・ピーターの家出の言動に対して“変だ、おかしい”を抱かせる必要がある・・・家出すること自体おかしい!
 ・家出の仕方がおかしい!
     ピーターが家出することによっぽどの目的がある
        ・青いいすをピンクに塗られないようにするため(青いいすを守るため)?
        ・お母さんやお父さんに構ってもらうため?
 ・“どうして家出をやめてすぐに家に帰ってきたのか?”という問い:「ピーターがすぐに家に帰ってきた」という     叙述は見られないため、問いとして×  叙述に基づいて問いを作る必要がある
     例 (お母さんに声を掛けてもらうという目的を果たせたのに)お母さんの声掛けになぜピーターは聞こえな      いふりをしたのか?

 ・ピーターがとった家出の行動に着目
    ・「ここがいいや。」(12段落)・・・「ここでいいや」との違い家の前を選んだ理由
    ・ピーターは、もちものをきちんとならべ、しばらく、いすにすわっていることにした。(13段落)
      ・・・「きちんと」「〜することにした」 目的がある  ・青いいすを守るため?

 ・お母さんに声を掛けてもらうため?
   「〜することにした」の例文づくり
   これらが家出の目的を果たすためにしたこと。
   しかし、ピーターは大きくなりすぎていた(15段落) いいことを考えるきっかけ

 ・ピーターが考えた「いいこと」とは何か?
   ・お母さんをいつもと違うやり方で驚かせること?
    18〜20段落には「ピーターはお母さんを驚かせた」とは書かれていない・・・・スージーのためにいすをピン    クに塗ること?
 これを言う前の一文「おとうさんがそばにすわった」(21段落)も重要となる(「横にすわった」ではない)

 ・ピーターの課題とは?「おとうさん、あのちっちゃないす、スージーのためにピンクにぬろうよ。」で解決する  か?

 〇検討して学べたこと
 ・自分の解釈を否定することが大切
 ・子どもの意見には飛躍があるため、その意見に教師側がつっこむ必要がある
 ・言葉と言葉を関係づけることで、新しい気づきが生まれる
 ・きちんと問題をつくって、解釈を考える必要がある
 ・「なぜ〜なんだろう」ばかりでなく、「〜ってどういうこと?」といった細やかな問題でイメージをつくってい  く

 

第5回 例会  9月17日 19:00〜22:30 オンライン

参加者9名

〇「ピーターのいす」の検討
・ピーターの課題・・・(1)自分のものを取られたくない・両親に構ってほしい
          (2)ピーター自身の幼さ
     授業展開案を考えていく上で、叙述に基づいて課題を解決するとなれば、(1)の課題が適切ではないかと     いう意見にまとまった
・大問題 家出までして取られたくなかった青い椅子を、なぜピーターは「スージーのためにピンクにぬろうよ」と     言ったのか?

 その後すぐに対立を組むのではなく、1場面から順に“変だ、おかしい”を見つける必要がある( 初発の読みのイメー ジ変化をねらうため)
   例)ピーターは、ううんとせのびをした。(1段落) 
     そらっ、つみ木のビルが、できあがり。(2段落)
   変)「ううんとせのびをした」と「せのびをした」の違いは?
      なぜ「そらっ」と言ったの?お母さんにつみ木のビルを見てほしいため(お母さんに構ってほしいため)


〇実践検討
6年「やまなし」
 5月前半(1〜6段落)の場面では、「なぜかにの兄弟は死んだはずのクラムボンが笑ったと話しているのか?」を大問題に授業展開案を考えた。2段落や3段落で“クラムボンが笑った”話題が多く挙げられているが、それ程クラムボンが笑うこと自体珍しいことであることをまず押さえる必要がある。また、クラムボンは単体であることや、泡ではなく、泡をはく生き物であることも叙述に基づいて押さえる必要がある。
 5月後半(7〜16段落)の場面では、「2匹のかには声も出ないほど、居すくまってしまったのはなぜか?」を大問題に授業展開案を考えた。かにの兄弟が居すくまってしまった原因として、鉄砲玉のようなものがいきなり飛び込んできてきたこと(11段落)が最初に挙げられるのではないかという意見にまとまった。兄と弟で認識の違いがあるため、その後のお父さんとの会話も含めて、何を「こわい」と捉えているのかを考えていく必要がある。

4年「春」
 2学期始めに行い、授業に対する姿勢や心構えを子どもたちに伝え、実際にその姿勢を身に付けさせながら授業を行った。「誰の背中をあたためているのか」を考えていく中で、最初は?作者の背中”の意見が多かったが、「うたうし」「あたためるし」の「し」の意味に着目した時、子どもたちの方から具体的な例文が出て、理由であることを押さえることができた。その後作者の背中ではなく、じそうさまの背中であることに意見が多く集まり、初発の読みのイメージを変化させることもできた。

第6回 例会  10月15日 19:00〜21:30 オンライン

参加者10名

〇「ピーターのいす」(1年生教材)授業記録《H教諭・I教諭》の分析

@「大きくなりすぎていた」とはどういうことか?
「大きくなりすぎていた」と「大きくなっていた」の違いに気づかせるために、「さつまいもが大きくなっていた」「さつまいもが大きくなりすぎていた」という例文を出す。しかし、大きくなりすぎることによって不都合なことがあるということを掴ませたかったが、子どもたちにとっては、さつまいも(食べもの)が大きくなりすぎることは都合がいい(得する)と考える子が多かった。ここでは、「ランドセルが重い」「ランドセルが重たすぎる」「鉛筆が小さい」「鉛筆が小さすぎる」という子どもたちにとって、困り感が持てる身近な例文が適切であった。
 「〜すぎていた」はピーター自身の驚き(発見)であり、 自分を成長させなければという思いにつながる。どうやって両親の気をひくかよりも、自分を成長させることに意欲が向く。 

A家出しようと決めたところはどこか?
 9段落と10段落。ピーターはまだピンクに塗られていない青い椅子を持ち上げて自分の部屋に駆けていき、そのままその椅子を部屋に隠しておけばよかったのに、家出しようと、その椅子を持って家出した。父の傍で「あれは、まだぬってないぞ」とあえて声を上げ、隠しておけば塗られないようにできるのに、あえて持ち出す。
家出の目的は、椅子を塗られないようにするためではなく、両親に構ってもらうアピールをするためである。
 しかし、椅子に座っていることで目的が果たせそうなのに、それが「大きくなりすぎていた」ことによって果たせない・・・。 
 問題は『ピーターは青い椅子を持ち上げて部屋へ駆けていったのに、なぜ自分から「ピンクに塗ろうよ」と言ったのか?』になる。(わざわざ外へ持って行った椅子なのに)

?家出した理由
 青い椅子をピンクに塗られたくなかったから。しかし「塗られたくない」理由であれば、家出じゃなくても部屋へ隠したらいい。「塗られたくない」理由で、なぜわざわざ家出するのか? (家出のおかしさに気づかせるべき)

C「おとうさん、あのちっちゃないす、スージーのためにピンクにぬろうよ」(21段落)の朗読
 どんな風にピーターはお父さんに言ったのか? 仕方なしに言ったのか?自分の意志で言ったのか? 朗読して考えさせるといい(特に低学年で)。そこから対立をつくり出せる。
 子どもの意見の中で、「それは喜んでいるってこと?」「この時、喜んでいるか喜んでいないか、みんなどっちだと思う?」と切り込んでいく場面が必要。

第7回 例会  11月3日 13:00〜17:30 

参加者6名

1 「やまなし」の授業(6年)
 「お父さんのかには『もうねろねろ』と言っているのに、なぜ『ついていってみよう』と態度が変わったのか」という大問題について意見を出し合い、子どもたちから「@やまなしのお酒を飲みたい」「Aやまなしかどうか確かめたい」「Bやまなしがどこで落ちるか確かめたい」という意見が出てきた。その後「みよう」という言葉に着目させながら、「お父さんのかには何を確かめたかったのか」を次の課題として話し合った。子どもたちから「@やまなしかどうか」「Aやまなしの落ちる場所」「Bやまなしの熟し具合や状態」という意見が出てきて、@の意見が妥当であるかどうか議論し、最終的にBの意見が妥当であることにまとまった。
 「お父さんのかには何を確かめたかったのか」の課題に対して、目的が曖昧で子どもたちの話す視点が異なっていたため、目的(子どもを連れていく目的?自分のための目的?)は何かをはっきりさせて、課題を考える必要がある。 学級の子どもたちは、”わざわざ兄弟を連れて行かなくてもいいこと”や、 ”もうやまなしだと断定した上でついていってみようと言っていること”を文から述べられる力を持っているが、そういった意見を伝える力を持っている子のかげで、ついていけない受け身の子も少なからず生まれてしまうことが課題である。

2 「お手紙」の授業(2年)
 「ああ。」と言った時のがまくんの気持ちについて考え、子どもたちから「@うれしい」「A感動」「B驚き」「C不思議」という意見が出てきた。なぜその意見となったのか、教材文の内容に沿った理由が子どもたちから出ていなかったため、「どこの文を読んでそう思ったのか」、子どもの意見に対して今後聞き返すことが必要である。「うれしい」と「感動」は対立にはならないため、対立を解決する際には注意が必要である。
 「今、一日のうちのかなしい時なんだ。」の会話文について、“がまくんがどれ程悲しい思いでいるか”、“それはなぜか”をその文でしっかり押さえ、その後かえるくんががまくんに出した手紙の内容(42段落)の「親友」へとつなげていくよい。学級の子どもたちの中には、前後のつながりを読むことができていない子もいるため、「ああ」は何によって導き出された言葉かを、丁寧に教材文を提示して確認したい。

3 「くじらぐも」の授業(1年)
 子どもたちから出てきた“変だ、おかしい”から「くじらぐもが学校に来た目的はなんだろう」を大問題として、「くじらぐもが学校に来たのは初めてか?初めてではないか?」の対立を組んだ。「初めてではない」の立場で「くじらぐもは学校がすきなんだね。」の文に着目した子がいたが、「初めて」の立場で「大きなくじらが現れました」の文に着目した子がいて、その段階では対立を解決することは難しかった。そこで、くじらぐもがしたことを初めてでもできるかどうか、実際に自分たちも体験しながら確認をとったところ、初めてではできないという実感を持たせることができた。
 くじらぐもが学校に来た目的として、「あのくじらは、きっと学校がすきなんだね」の会話文に着目させ、「きっと」や「学校がすき」の言葉から考えていく必要がある。

第8回 例会  11月27日 10:00〜16:30   

参加者9名

1 「やまなし」(6年)
 「単元全体を通した課題」について、「宮沢賢治はやまなしという作品にどんな思いや願いを込めたのだろうか」と設定したが、事実に基づいた課題の方が子どもたちは考えやすいため、「なぜ『やまなし』と題名をつけたのか?」という課題設定にする必要がある。
 教材解釈の中で、お父さんのかにがかにの子どもらに「魚かい。魚はこわいところへ行った」(14段落)と言ったことに対して、“弱肉強食という自然の摂理を伝えようとしている”と解釈したが、お父さんのかにが言った「こわいところ」は漠然としたものであるため、ここでの解釈は合わない。教材解釈の項目では、「5月」と「12月」で場面分けをして解釈をまとめ、「12月」ではお父さんのかにの言動に着目するといい。かにの親子の言動を捉える際には、筆者がそれらを通して何を伝えようとしているのかという視点が混じると、考えが整理しにくくなるため、気をつける必要がある。
 授業記録では、展開を6つに分けて詳細にまとめてあり、子どもたちから出された意見や授業展開が整理されていて分かりやすかった。「お父さんのかには何を確かめたかったのか」の課題に対して、初め子どもたちから「@やまなしかどうか」「Aやまなしの落ちる場所」「Bやまなしの熟し具合や状態」の意見が出てきて対立を組んでいたが、途中で「@もBも両方ありえるのではないか?」という意見が出てきた。その意見をきっかけに、お父さんのかにと子どものかにの知りたいことが違うのではないかと考え始め、お父さんのかにには“やまなしの熟し具合を確かめること”と“かにの子どもらにやまなしとはどういうものなのかを教え、安心させること”の2つの目的があるということで話し合いがまとまっていった。またその場面で授業ができるのであれば、“やまなしの熟し具合を確かめるため”の目的にしぼられるといい。A教諭の学級の子どもたちは「やっぱり」等の言葉を根拠に自分の考えを伝え、思考を発展させていくことができていた。
 対立課題の話し合いを通して子どもの読みが変化したことを捉えることができたが、「単元全体を通した課題」に対しては子どもの考えの変化につなげることはできなかったため、「単元全体を通した課題」の見直しを行う必要がある。

2 「くじらぐも」の授業(1年)
 1場面から考えられる”変だ、おかしい”を基に、「どうしておばあさんは女の子におかゆが出てくるおなべを渡したのか?」を大問題に設定した。しかし、その大問題から最後の場面へとつなげることができるのかどうかは検討が難しかった。女の子の置かれた状況を文から読み取ることはできても、このお話の結末の意味するところとどう結びつくかは分からなかった。
 “お母さんがなべを止める時の呪文を知らなかったのはなぜか?”に着目したり、「町はおかゆにうまってしまいました」の「埋まる」の表現に着目して“町がおかゆに埋まる”ということはどういう状況かを考えさせたりするといい。また、町がおかゆだらけになる場面で、「とうとう」や「それどころか」「ようやく」の言葉に着目して、時間がどのように経過しているのかを考えさせてもいい。

3 「雨のバスていりゅう所で」の授業(4年 道徳)
 駆け出して停留所の一番先頭に並んだ時のよし子や、自分の行動について考え始めた時のよし子の思いについて考えさせたが、最後の場面のお母さんがよし子に対してとった行動の異常性に着目させる必要があった。
 子どもたちはきまりを守ることや順番抜かしをしてはいけないことを常識と捉えているが、“その常識がなぜ大事なのか?”、“「常識」とは何か?”と問い返すことが大切である。他者の意見に対して、“その子はどんな気持ちでその意見を言ったのか?”と他者の意見を自分事として考えることも大切で、T教諭はそれらを意識して授業されていた。また、学級内で日々聴く・話すトレーニングをされていて、今では自由発言のできる学級に築き上げられていた。
 道徳の授業で大切なことは、価値観を教えるのではなく、他者との対話の中で変容させることである。